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2009.11

30

Monday

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行って みた/みたい おすすめお店の紹介@ 渋谷・中目黒

祐天寺に引っ越してから、中目黒でご飯を食べることが多くなった。
平日はもちろん、土日でも一部の超人気店以外はけっこうすんなり入れることが多いから、重宝している。
渋谷から数分で人ごみを避けられて、小洒落てる店も多いから、人ごみが嫌いなカップルにはかなりおすすめだと思う。でも、意外とみんな来ないのが中目黒。僕自身、祐天寺に来るまで数回買い物で訪れたことしかなかった。

僕が思う中目黒の魅力は、やはり、目黒川沿いと東山方面のハイセンスな部分と、歴史ある商店街の下町っぽい部分が、うまく共存しているところだと思う。

川沿いを歩けば、ガラス張りや打ちっぱなしのコンクリート壁のビルの中に、カフェやモダンダイニングが立ち並んでいるし、この不況の中、新規開店する店も多い。最近では、超高層ビルも建設された。だが、少し目を転じると、あのカステラ「福沙屋」の工場があったり、古い民家があったりと、歴史を感じるところもある。
また、GTビルから伸びる目黒銀座商店街通りには、昔ながらの呉服屋さんや八百屋さん、金物屋さんなどが所狭しと軒を連ねているが、その間々には、例えば最近話題の野菜スイーツ専門店「ポタジエ」や、各雑誌で紹介されているパン屋さん「transparante」などの、最近の人気店が出店している。
でも、まったく不自然ではない。むしろ、互いに引き立てあっているような気さえする。
一見、相容れないような新旧の町並みが、中目黒では調和して存在しているのだ。

実際、歩いている人を見ていると、この町には、本当にさまざまな人が生息していることに気づく。下町っぽいおじさんから、若手美容師から、芸能人まで。ただ、その中でも、どこか「品」の良さを感じる人が多い。

中目黒近辺に引っ越してきてまだ1年程度であるが、表参道でもない、下北沢でもない、代官山でもない、この独特な中目黒の「空気」をいつか身に纏いたいものである。

というわけで、これから忘年会シーズンで行った店/行きたい店を本当に忘れちゃいそうなので、適当にここ2ヶ月で訪れた中で、気に入ったお店を載せとこう。

行ってみた

[しぶや]
  • めしと酒 みうら:安くて、フレンドリー
  • beacon:先輩に教えてもらったお店、高いけど美味しい
  • NOS:Sちゃん推薦、静かで話しやすかった
  • なぎ食堂:桜丘郵便局そば、落ち着いた、おしゃれベジタリアン
  • 桜丘カフェ:二件目にいい感じ
  • とんちゃん:韓国料理で有名らしい、イケメン韓国人店員多し
[なかめぐろ]
食編(キメの時に使う可能性のあるものは割愛w)
  • GOLDEN BROWN:ハンバーガーのお店
  • KIRAKIRA:ヘルシー定食のお店
  • アンティロミィ:有田焼カレーのお店
  • 源平:納会で使用、オーナーがとてもいい人だった
  • 鳥小屋:もつ鍋の名店、しかも安め
  • Huit:中目黒っぽいカフェダイニング、眺め良し
  • Travel Cafe Bliss:旅行代理店+カフェ、オーナーが楽しかった
服編
  • 1LDK(http://www.idland.jp/1ldk/):いい感じの服がたくさんあった。Gambertのネルシャツが欲しかったけど、腕のサイズが合わず、断念。。
  • GENERAL RESEARCH:直営店があったのを初めて知った。将来的に、nonnativeとここの服を愛用したい。

以下は、行ってみたいところのリスト。誰か一緒に行きましょう!

行ってみたい
[しぶや]
  • 吉祥寺どんぶり:豪快そうだった
  • Societa
  • カレーハウスチリチリ
  • 汁べゑ:ずっと行けていない、とにかくいつ電話しても満席
[なかめぐろ](キメの時に使う可能性のあるものは同じく割愛w)
  • 『のひのひ』:東山方面、「野菜」バーらしい
  • 『鰓呼吸』:突如出現した居酒屋、外装が派手
  • 『ie』:夜中2時までやってるカフェらしい、卒論で使いたい
  • 『rigoletto short hills』:CP抜群のバーらしい
  • 『新潟025』:新潟出身の友達にも推薦したい
  • 『雲居』:東山方面で、この間発見した隠れ家っぽいところ
  • 『ボンシュマン』:祐天寺よりのフレンチ、ランチで訪れたい

いつか代官山も開拓したいけど、中目黒でこんなにたくさんあるとなると、先は長そうだ。

2009.11

30

Monday
16:42

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アイルランド。これは、refにtéigh transa ort féin!!と言わざるを得ない

悔しいだろうな、アイルランドのサポーターは。

(審判にバイアスがかかっていない前提で)
判定ミスはお互い様ではあるんだけど、こういう大きな試合では、
テニスみたいなカメラによる「チャレンジ制」を設けたほうが、健全だな。


2009.11

19

Thursday
17:33

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宇都宮市民マラソン出場、そして半分で棄権

日曜にいってきた、宇都宮市民マラソン@宇都宮清原工業団地。
ハーフの予定が、11km(コース1周)で棄権。

今回改めて実感した、マラソン大会で大切なこと。
  • コース
   ー走りやすさ(アップダウン・道幅とか)
   ー景観
   ー沿道の応援
  • 共走するパートナー
  • 会場アクセス
  • 参加賞(今回は保冷バッグ)
今回はコースが単調で、ちょっと物足りなかった。
工業団地内をひたすら走るってことで、見えてきたのは工場、工場、工場。
さすがに飽きた。
でも、最後に食べた「鬼怒川の船頭汁」は、美味だった。

ところで、走るって、現代においては、かなりmasohisticな行為であるがする。
走れメロス的な時代ならまだしも、車や飛行機がある時代に、時速10kmくらいで自分の足で進むって、非合理的だし。
でも、いまだに人は大会を開いて、他人とその速さを競ってる(もしくは自分との闘い)んだから、人って、本来相当に向上欲・競争心の強い生き物なんだなー、

ってことをレース中にぼーっと考えてたら、推定80歳のおじいさんに衝突した。
いやはや、おじいさま、恐れ入りました。


それにしても、帰りの高速が混んでてまいった。日曜の上りは、いつもああなのか。

走ってて考えたけど、
車って言うのは、人をよくあらわしていると思う。
きちっと手入れされたセダンにはビジネスマンが乗っているし、
使い込んでありそうなボックスワゴンには仲よさそうな子供連れの家族が乗っているし、
高級そうなピカピカした外車には、やり手っぽい人、もしくはその奥さんと思われる人が乗っている。

家も同様だと思う。
家の周りにチリひとつなくて、SECOMとかで防犯ばっちりの家、
いつもドアとか開けっ放しで、鍵とかかけたことないような農家。
いろんな家があるけど、だいたい家とそこに住んでる人って似てる気がする。

たまに、どうも違和感のある組み合わせに遭遇することがある。
自分の「こうなりたい」っていう姿を、対象に投影してものを選ぶのも
(それが仕事のモチベーションになり得るだろうし)いいけど、
家とか車を買うなら、自分は、自分に合ったものを選びたいと思った。

2009.11

17

Tuesday
13:51

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欲しいものメモ(内容は皆無)

深海 クレール・ヌヴィアン
透明標本 冨田伊織

HARCO

ハチクロ 七巻

2009.10

28

Wednesday
17:50

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補色って


ぼんやりと、赤の反対の色ってなんだろう?って考えてみた。青?緑?黒?
というか、そもそも「反対の色」って何だ?色の「反対」ってどういうことを指すんだ?
調べてみると、反対の色のことを、色彩jargonでは「補色」というらしい。そんでは、補色の定義って?

wikipediaによれば、

補色(ほしょく)とは色相環 (color circle)で正反対に位置する関係のの組み合わせ。赤に対しての緑、黄に対しての紫、青に対しての橙など、相補的な色のことでもある。 或る色に別の色を適宜割合で混合して、の場合は物体の場合はというように、彩度低下を引き起こす色についても言うが、並列した際の視覚的効果の相補性と混合した際の相補性は異なる。

 540pxcolorwheelsvg_3

要するに、この色相環の反対側に位置する色がお互いに補色であるらしいけれども、そもそもこの色相環自体、どのように決定されているのだろうか。
この色相環上の色の全てが、自然界に存在するものではないらしい。そのことを考えるならば「補色」っていう概念は、当然ながら、ある特定の人間たちが便宜的に作り出した「文化」なのであろう。
ってことは、地球のどこかには、赤の反対色は黒っていう「文化」があるかもしれない。
「文化」が違うから、と、私たちと彼らとは違うんだ、絶対的な他者であるとして片付けてしまうのは簡単だ。けれども、非常に危険なことでもある。「文化」っていう言葉は、自分と文化的に異質な対象を、無条件に自分と隔ててしまう可能性がある。
安易に使いがちな日常的な表現なだけに、用いるときは留意すべきであるね。

2009.10

23

Friday
00:52

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きょうのおべんとう 10月21日

《献立》
おにぎり
さつまいものバターレモン煮
筑前煮
かぼちゃと厚揚げの煮物(サービスおかず@もっくもっく)
グリーンサラダ
チョコあんぱん

 

ようすけ

2009.10

22

Thursday
01:00

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マラソン時々、寿司・焼肉

土曜日に10km走ってきた@皇居

http://www.runforthecure.org/events/index_ja.html

まあ、なんというか、イベントの運営が本当に杜撰だった。
スタート時間が1時間以上遅れるのはいただけないね。
趣旨はすばらしいと思うし、こういう形で健康増進×がん撲滅的なキャンペーンをするのは効率的で、いいと思うんだけど、




なにはともあれ、タイムは、、、、、、、

48分5秒。

なかなかやるよね、隠居した身にしては、と自分で自分を誇らしく思った。
ちなみに、この前のハーフは2時間半くらいだったかな。

某大手銀行の外国人社長(推定50歳くらい)は、40分くらいで走り抜けてた。
やっぱ真のやり手の方は体力もあるんだよね。
インターンしてたとこのMDの方も、フルマラソン何度も走破していたっけ。



そんで、ご褒美ということで、築地でお寿司!

お寿司といったら、北海道より、(まあ、行ったことないけど)銀座より、
梅が丘の美登利寿司!なオレだけど、ここもとっても美味しかった。特に、ビールが。




そんで、2時間昼寝して、ジモティー銭湯で汗を流して、カオスな部屋の片づけをして。

夜は、精をつけるために、焼肉@中目黒へとLet's GO!
1030頃だったから、ほとんどの店は開いてなかったんだけど、東山の方の「深山」は開いてた。

深い、山。
どきどき。



なんか高級感溢れてます。
焼肉といえば「安安」か「牛繁」、気合入れて「牛角」だったオレにとっては、
まさに「未知との遭遇」。






さて、どれどれと、メニューをブラウジング。

ん?並で1000円越え、だと!?
安安では、お目にかかれない数字。
少し驚きつつも、
キムチ盛り合わせ、クッパ、NAMI☆カルビ・ハラミ・タン、ランプの刺身をオーダー。

お味は、やっぱり値段が少し張る分、めちゃくちゃ美味しかった。
あと、たぶん牛角キムチより別格に美味しいと思われる、深山キムチ。

なんでもそうだけど、安いに越したことはないと思う。
まあでも、食べ物って値段相応な側面もあるのかなあとも感じた。

ともかく、昼にお寿司、夜に焼肉と、久しぶりにメガトン級に美味しいものに囲まれて幸せだった1日だったとさ。

2009.10

20

Tuesday
02:02

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『創造的論文の書き方』伊丹敬之

卒業論文がいっこうに進む気配がないので、参考になればということで、ざっと目を通してみた。まあ伊丹先生が書いてなかったら、手にも取らなかっただろうけど。

創造的論文の書き方


https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4641076499_1.html

そもそも社会科学的な論文って何?ってところが、なんとなく理解できたような、気がする。
結局のところ、まだテーマの選定で行き詰っている僕にとっては、「もっとうろうろしろ!」ってことみたいで。。。「不思議な」テーマ、今月中に見つかるかな?


論文テーマを決めるまでのプロセス

1.分野レベルのテーマ設定からトピックレベルのテーマ設定まで、何段階かの絞込みが必要

2.各段階の絞込みにはすべて、類似の構造の「うろうろ」プロセスが不可欠、うろうろをきちんとする人が、後で報われる。


うろうろ効率化の原理

入り口は狭く、しかし奥行きは深く(より深い本質的(=社会的に重要性の高い、理論的に基本的な問題に絡んでいる)問題につながっている、という感覚)

思考実験をスピーディーに

不動点を意識する


「良い」テーマの要件

不思議なこと、せめて、面白いこと

テーマの内容を、短い、簡潔な表現で言えること

凝縮した表現

多くの人による理解

少しの無理をするようなもの=能力蓄積

長持ちする、奥行きが深い


論文の価値は、仮説が意味深いか、面白いか、さらには証拠が説得的か、で決まる。


仮説を「育てる」

1.現実をしっかりと見る能力、不思議を発見する仮説発見型

現実は論理的

人はイメージなしにものを考えることはできない

2.関連分野の理論をきちんと勉強する努力、仮説検証型


思考実験(論理・データ・厚い記述)→萌芽→現実観察・まとめ

→仮説候補の構築、原因の論理的推論→仮説を論証可能な証拠を探す

(注意)

1.材料は満遍なく

2.適切な言葉を見つける

3.思考を本筋から離れないようにする


論理を証拠として用いる

現実的妥当性のある前提か

追加的な仮定や前提を置かざるを得ないときは、それを明示的にして、可能性としてのその説明論理を、証拠として提出する


仮説の正しさを証明する方法

観察結果法

演繹論理法

論理重合体合成法


論拠の提出と、なぜ自分がその仮説を大切と考えたかの発想のきっかけを説明することは異なる


論文の「幹」とは、書き手が、自分の主張したい仮説群を効果的かつ順序良く述べ、さらにはそれらの仮説の証拠を説得的に提示していくために、決めるものである。幹は一本に決めて、それを簡潔な表現で表す。


文章展開

階層構造を明瞭に意識する

ある階層での、レベル合わせができているか

2009.10

16

Friday
17:26

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フットサルとかテニスとか

なにか運動したい!

だれか一緒にやりませんか??


2009.05

15

Friday
00:52

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John Isaac



'HOPE'



'I used to think I could change the world but now I think it changed me'

元国連の専属カメラマン、いろいろな世界を見てきた、彼の言葉です。
In many cultures, people believe that when you take someone's picture you take away their souls. As a photojournalist, I am aware of that. From my early photography career I was also concerned about the dignity of the individuals that I photographed. It was, and always will be, important for me that I did not take away someone's dignity in my pictures. In 1979, while covering the plight of the boat people who were fleeing Vietnam, I decided not to take a picture of a young girl who was washed ashore and had been tortured and raped by the Thai pirates in the ocean a few days earlier. I found a home for her. That was more important than photographing her. At the time, I was criticized by most of my colleagues and peers that I will never make a good photojournalist. I am probably not a noteworthy photojournalist, but I have always believed that I am a human being first and only after that, a photojournalist.

In 1984, while I was in the Wollo province of Ethiopia covering the draught, a mother ran towards me with her baby wrapped in cloth and begged me to hold her child in my hands. She asked me if I would do that and save her from the disgrace of having to have her last child die in her hands. I did so, and later―after the child had died―the mother left me with her dead child to take care of the burial.

I once saw a woman on the pavement outside a hospital in Ethiopia. Her clothing had come off and she had just delivered a baby―the umbilical chord was still attached. Ethiopian women are very modest people and they do not even show their legs. My reaction was to cover the woman, and so I did. Just then a TV crew, who had seen this sight and had gone to their jeep to get their gear to photograph this woman, arrived and saw that her clothes were on her and they demanded to know if I had done that. I said "Yes." The cameraman demanded that I take her clothes off the way they were before so they could film her. I wouldn't do it and he almost punched me. Luckily, the driver who had brought me there came to my rescue.

My 20 years of photojournalism for the United Nations took me to several countries to cover wars and refugee problems. In 1994, after my coverage of Sarajevo, I was asked to go to Rwanda. I visited a camp for "unaccompanied children" in Goma, Zaire. They had fled their homes in Rwanda and had taken temporary asylum across the border in Zaire. I met a young orphan boy named "Innocent." He explained in detail how he had lost both his parents who were killed by machetes. He also kept reminding me that I looked so much like his father. When I was leaving the camp he came closer to me and said, "If you ever come back to this part of the world, please come and visit me." I was fighting my tears, and we barely left the camp when we saw a pile of dead bodies by the roadside. A truck approached and two men got out to use shovels to throw the bodies into the back of the truck. I knelt down and made two pictures. I said a little prayer and put away my camera. The last body they threw in the truck was a strong man's body. He was partially clothed. What bothered me most was the way these dead bodies were treated. With no importance, as a matter of fact, they were removed like dust. Later that same day I witnessed a TV crew that was so excited about the coverage they were getting. I heard the cameraman yell to his producer of the "great, incredible, fantastic" shot that he had lined up. I ran to see what he had in his viewfinder: the camera was set up in a low angle and was trained on a row of bodies on the roadside.

My trip back to the U.S. was very painful with such remembrances of the various things I had witnessed. I had seen similar sights and incidences earlier in my career, but somehow this time it weighed heavily on me and I had a feeling that I would not able to shrug this one off and get back to my routine. Sure enough, almost a week later, I was in my New York office one morning and I just could not function. Tears rolled down my cheeks and I could hardly hold myself together. I had a nervous breakdown and was given leave from my job for almost three months while I recovered. It took seeing the incredible beauty of a butterfly that was sitting on a sunflower in my neighbor's backyard to finally bring me back to photography and the camera that I had packed away for three months.

2009.04

30

Thursday
14:59

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